ご存知でしょうか。久留米は昔、『三シャの街』といわれていました。
『三シャ』とは、芸妓(芸シャ)、医者(医シャ)、自転車(自転シャ)の事。
実は戦前、久留米には約600人もの芸妓さんがいらっしゃいました。しかし、昭和50年代には数名になりました。 久留米 と 芸妓さん文化は、深いつながりがあるのです。
今回の寄席は、博多券番から、地方(ぢかた=三味線)さんと立方(たちかた=踊り)さんをお迎えし、昔懐かしの日本文化に触れる会です。
芸妓さんというと、高級料亭にて杯でも酌み交わしながら楽しむ、上品な娯楽。それを久留米の我々の舞台でご披露頂けるなんて、とても嬉しい事です。
前半は我々の落語と皿回しをご披露。
そしてお待ちかね、博多券番のお二方の登場です。
いやあ、三味線に小唄、裾挽き着物の踊りに、会場全員の心は奪われっぱなしです!艶やかで奥ゆかしくて、う~ん、いいなあ~。
また、博多券番のご紹介や、三味線や小唄、踊りの文化、芸妓さんの生活、見習いから芸妓さんへの道、などなど、とても興味深いお話も沢山頂きました。「ほほ~ぅ」の連続でした。
芸妓さんの世界に関してはもちろん、久留米の歴史に対しても、更なる魅力を感じる事が出来ました。
日本の古き良き時代文化に触れる、とても良い会になりました。本当にありがとうございました。
●券番とは?
芸妓さんの取次ぎや『線香代(花代)』と呼ばれる出演料の精算を行う事務所的なものだそう。明治時代の発生し、次々と券番が設立されましたが、戦時体制で券番は完全に消滅。しかし大戦後に2つの券番が復活し、昭和60年、すべての券番がひとつにまとまり『博多券番』となり、現在に至っているそうです。歴史が深いですね。
●博多芸妓の歴史
江戸時代中頃、大阪の芸妓さんが長崎での出演に行かれていたそう。しかし、長崎での滞在には日数制限があったため、期限を過ぎると長崎を出なければならなかったそう。大阪まで帰り、また戻るとなると、大変!という事で、途中の博多で一稼ぎし、長崎へ戻っていたそう。その中から博多に定住する芸妓さんが出てきて、それが博多芸妓のルーツになったそうです。
当時博多の芸妓さんはおおらかできっぷが良いと評判だったそう。博多だけでなんと2,000名を越える芸妓さんがいらっしゃったと言うから驚きですね!
●芸妓さん(立方さん)の1日
午前中に稽古、午後から髪を結いに美容室へ行き、メイク、身支度を整え、夕方頃から出演するお座敷へ出かけ、出演。終了は当然夜になるそう。
また、稽古に関しては、自分の稽古が無くても、稽古場で正座で見ておかなくてはいけませんし、東京からお師匠さんが来られるときは、正装をしてからの稽古なのだそう。厳しい世界ですね…。
●線香代とは?
芸妓さんと遊ぶときの代金の事を『線香代』と言います。通常2時間で線香18本。それに加えて、お料理・お酒代、芸妓さんの交通費、チップ的なものも必要です。博多では線香代は1本700円~。全国的に見ると、割とリーズナブルな方なのだそうですよ。